歴史

鳥居忠政が築城!

慶長7年(1602)徳川家康の家来、鳥居忠政が磐城(福島県南東部)に現れます。そして忠政は磐城の北にいる外様大名・伊達政宗をけん制するため、磐城平城を築き始めます。たぶん忠政は家康に「頼むよ、忠政ちゃん♥ 政宗のこと・・・」と言われたのです。

強大なお城♪

家康に頼まれた忠政は張り切ります。磐城平城は忠政の尽力により丘と平地を併せ持つ広大な敷地にいくつもの堀、土塁、曲輪、城門、櫓などがバンバン配置される強大なお城として完成するのです! 凄いぞ、忠政♥

戊辰戦争で落城・・・

元和8年(1622)磐城平城を完成させた忠政は出羽国山形に引っ越します。その後、城主は内藤家、井上家、安藤家が務めます。明確な由来は不明ですが「龍が城」という素敵なニックネームも持っていた磐城平城、でも慶応4年(1868)戊辰戦争の戦火に巻き込まれ、最後は新政府軍の手により落城するのです・・・。

事件

浅香事件

第4代磐城平城主・内藤義概の嫡子、義英付き浅香十郎左衛門が延宝7年(1679)捕らえられ、延宝8年(1680)に牢死した事件です。一説には十郎左衛門が恨みを持つ家老・松賀族之助による謀略とされていますが、真相は解明されていません!

小姓騒動

第4代磐城平城主・内藤義概の小姓目付・山井八右衛門が延宝8年(1680)小姓・山本金之丞、山口岡之助、大胡勝之進により殺害された事件です。後に小姓たちは共謀した者を含め全員が切腹します。犯行の動機は怨恨と言われています・・・。

松賀騒動

第7代磐城平城主・内藤政樹の実父・義英が享保4年(1719)藩内で勢力を誇っていた松賀一族を摘発、処罰させた事件です。松賀伊織、織部父子は蟄居、謹慎、腹心・島田理助父子は切腹、家来・義兵衛、若党・仙右衛門は死罪となります。

伝説

丹後沢の人柱伝説

磐城平城の北側にある沢を堀にする際、完成させるために老人・箱崎丹後が人柱になります。以後、沢は丹後沢と呼ばれるようになります。『磐城平城ブログ 第5回』にて人柱伝説の真相を追求しています。是非、ご覧下さい!

白蛇掘の伝説

磐城平城が完成した後、水ノ手曲輪の堀に白蛇が棲みつきます。城内では白蛇を「神の使い」として大切にし、掘も白蛇掘と呼ばれるようになります。『磐城平城ブログ 第9回』にて白蛇堀の伝説を考察しています。是非、ご覧下さい♪

戦慄の化け石騒動

磐城平城下に化け物が出没、藩士に退治されます。後に刀傷のある石が発見され、その石が化け物の正体だったことが判明、石は化け石と呼ばれるようになります。『 磐城平城ブログ 第8回』にて紹介しています。怖いですが是非、ご覧下さい・・・。

松賀一族の陰謀

磐城平城主を内藤家が務めた一時期、藩政を牛耳る松賀一族(族之助・伊織・織部)は浅香事件、小姓騒動、さらに前代未聞の城主毒まんじゅう殺害未遂事件に関与したと伝わります。真相はどうなのでしょうか? 解明のため、ただいま取材しています!

年表

年代

城主

主な出来事

慶長 8年(1603)頃

初代  鳥居忠政(とりい・ただまさ)

鳥居忠政、磐城平城築城を開始

慶長20年(1615)頃

 

磐城平城完成

元和 8年(1622)

 

鳥居忠政、出羽国(山形県)山形へ転封

 

第2代 内藤政長(ないとう・まさなが)

内藤政長、上総国(千葉県)佐貫より入封

寛永10年(1633)

  小川江(用水路)の開削

寛永11年(1634)

第3代 内藤忠興(ないとう・ただおき)

内藤忠興、内藤政晴(ないとう・まさはる)に2万石分与、泉藩成立 

寛永12年(1635)

  内藤忠興、総検知を開始

慶安 2年(1649)

  内藤忠興、壁書(法令)を制定

寛文10年(1670)

第4代 内藤義概(ないとう・よしむね)

内藤忠興、遠山政亮(とおやま・まさすけ)に一万石分与、湯長谷藩成立
    葛山為篤(かつらやま・ためあつ)『磐城風土記』編纂

延宝 2年(1674)

  愛谷江(用水路)の開削

延宝 7年(1679)

  浅香事件

延宝 8年(1680)

  小姓騒動

貞享 2年(1685)

第5代 内藤義孝(ないとう・よしたか)

 

正徳 2年(1712)

第6代 内藤義稠(ないとう・よししげ)

 

享保 3年(1718)

第7代 内藤政樹(ないとう・まさき)

 

享保 4年(1719)

  松賀騒動

元文 3年(1738)

 

元文百姓一揆 

延享 4年(1747)

 

内藤政樹、日向国(宮崎県)延岡へ転封

 

第8代 井上正経(いのうえ・まさつね)

井上正経、 常陸国(茨城県)笠間より入封

宝暦 6年(1756)

  井上正経、 大坂城代就任、転封

 

第9代 安藤信成(あんどう・のぶなり)

安藤信成、美濃国(岐阜県)加納より入封

 

 

安藤信成、八幡小路に藩校施政堂を創設

宝暦11年(1761)

  吉田定顕(よしだ・ていけん)『磐城枕友』著

安永 3年(1774)

 

安藤信成、奏者番就任

天明 元年(1781)

 

安藤信成、寺社奉行就任

天明 4年(1784)

 

安藤信成、若年寄就任

天明 5年(1785)

  天明の大飢饉

寛政 5年(1793)

 

安藤信成、老中就任

文化 7年(1810)

第10代 安藤信馨(あんどう・のぶきよ)

 

文化 9年(1812)

第11代 安藤信義(あんどう・のぶよし)

 

文化13年(1816)

 

安藤信義、奏者番就任

文政 9年(1826)

  鍋田晶山(なべた・しょうざん)『磐城志』著

文政12年(1829)

第12代 安藤信由(あんどう・のぶより)

 

天保 2年(1831)

 

安藤信由、奏者番就任

天保 7年(1836)

  天保の大飢饉

弘化 4年(1847)

第13代 安藤信正(あんどう・のぶまさ)

 

嘉永 元年(1848)

 

安藤信正、奏者番就任

 

 

安藤信正、寺社奉行就任

安政 5年(1858)

 

安藤信正、若年寄就任

万延 元年(1860)

 

安藤信正、老中就任

 

 

安藤信正、プロシアとの修好条約締結に尽力

文久 2年(1862)

 

安藤信正、坂下門の変により負傷

 

 

安藤信正、老中職辞任、隠居、永蟄居

 

第14代 安藤信民(あんどう・のぶたみ)

 

文久 3年(1863)

第15代 安藤信勇(あんどう・のぶたけ)

 

慶応 4年(1868)

 

磐城平藩、 奥羽越列藩同盟に加盟

 

 

戊辰戦争、磐城平城落城

明治 4年(1871)

 

廃藩置県

明治 5年(1872)

 

磐城平城、磐前県により売却